
112話は一見すると、ほっこりで「よかったねぇ」なのですが…
実は今回のお話
美菜のことを考えて描きました。
美菜は規の為に尽くしてきました。
見向きもされなかったけど、規の為に一生懸命頑張ってきました。
だから彼女はただ無償で規に愛される理子が嫌いでした。
美菜は規の死後、「お前は馬鹿だ」と理子に教え続けます。
教えられた理子は「自分は馬鹿だ」「馬鹿で駄目だ」と信じ、
他人ばかりを比較して育っていきます。
そうして惨めな理子の姿を見ることに、美菜は安心していました。
「私よりもこいつの方がクソだわ」
「私はこいつよりも全然マシなのだから、私は幸せなんだわ」
と思うようになりました。
その時の、『自分は他人より上の位置にいる』という安心感を彼女は幸せだと言いました。
実際の所、その気持ちの答えは101話のタイトル『優越感』なのですが…
そのことに彼女は気が付いておりません。

「他人の幸せな姿を見せて自分の不幸な姿を指折り数えさせる」が美菜の教育方針なのですが、
その教育方針を一番実践しているのは美菜自身だったりします。
規に愛される理子を見て自分との差を考える。
馬鹿にされてる理子を見て自分は馬鹿じゃないと安心する。
泣いている理子を見て自分は幸せなんだと感じる。
美菜の幸せは理子の不幸の元に成り立っています。
だから美菜にとって「理子は不幸じゃなきゃ駄目」なのです。
恋敵の不幸が自分の幸福です。
ところが、今回の112話でさらっととんでもないことが明かされました。
理子は「私は幸せ」だと思っているのです。
「悲しい事も、辛い事もいっぱいあった。
でも今が楽しければそれでいいの。
私は馬鹿だから、
未来の事とか難しい事はよくわかんないけど、
わからない馬鹿だからこそ、
今がすごく幸せなの。
だから私、馬鹿でよかったぁって思うんだ。」
理子は美菜から言われてきた「お前は馬鹿だ」を未だに信じています。
信じて、肯定して、受け入れて、「馬鹿で良かった」と心から思い、
それを理子自身の「幸せ」へと繋げることが出来ました。
理子は「馬鹿」と言われているけど、
本当はとても頭の良い子なんです。
漢字とか書けないけど、
勉強とは別の意味で頭が良いんです。
ただ「自分は馬鹿だ」と思いこまされているだけなんです。
この理子の「幸せ」には賛否両論あると思います。
もしかしたらこの「幸せ」で「やっぱり理子は馬鹿じゃん!」って思う人もいるでしょうけど、
私はこの「幸せ」だけで理子が馬鹿かどうかを測ることは出来ないような気がします
さて、こうなると惨めになるのは誰でしょう。
「理子の不幸が自分の幸福」と思っていた美菜です。
他人を比較して、いじめて、嘲笑って生きてきた女です。
理子は美菜をいじめ返しません。
美菜と自分を比較して、いじめて、嘲笑い返したりは考えていません。
理子は今の自分自身のことで精一杯で、自分の未来のことすらも考えていません。
毎日が笑顔で、その笑顔が毎日続くことだけを考えています。

理子が仕返しをしてくれたなら、美菜はどんなに楽だったでしょう。
「あんたのせいで!」と同レベルの口論や戦いになれたなら、どれだけ救われたでしょう。
高崎の「優しさ」が美菜を救わないように、理子の「幸せ」も美菜を救いません。
こうして美菜はたったひとり。
他人と自分を比較しながら、他人を蔑み、死んだ夫を想いながら、孤独に泣き暮らします。
そしてその横を笑顔の理子が通り過ぎていくのです。
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